宇都宮駅の歴史

1885年(明治18年)7月16日-日本鉄道の駅として開業。当初は古河方面からの終着駅であったが、翌1886年明治19年)6月に上野から宇都宮までが全通した。
線路は当時の宇都宮市街を避けて設置され、駅は田川を挟んで対岸に設けられた。現在も駅舎及び交通・商業複合設備は線路西側にある。日本初とされる駅弁(おにぎり2個にたくあんが添えてあるもの)が販売される。
1886年明治19年)10月1日-日本鉄道線が那須駅(現・西那須野駅)まで開通。これらの路線は現在の東北本線にあたる。
1890年(明治23年)6月1日-現在の日光線にあたる路線が、日本鉄道により今市駅まで開通(のち日光まで延伸)。
1902年(明治35年)4月1日-2代目の駅舎(2階建て)に改築。
1906年明治39年)11月1日-日本鉄道が国有化される。
1909年(明治42年)10月12日-線路名称が制定され、当駅を通る路線が東北本線および日光線命名される。
1910年(明治43年)10月15日-建設中の大日本製粉宇都宮工場を日清製粉が買収し、宇都宮駅鉄道引込線使用契約を締結。
1925年(大正14年)12月27日-駅舎の改築工事着工。
1926年(大正15年)4月9日-駅長室の拡張工事着工。
1945年(昭和20年)7月12日-宇都宮大空襲により駅舎(2代目)が焼失。
1946年(昭和21年)3月10日-駅舎が木造1階建て、スレート葺きバラック建築で復旧(3代目駅舎)。
1958年(昭和33年)
2月27日-4代目駅舎が落成、3月1日に供用開始。
3月7日-駅舎2階に駅デパートが開業。
1966年(昭和41年)7月-宇都宮駅日清製粉宇都宮工場)-大川駅(同鶴見工場)間でホッパ車のホキ2200形による原料小麦輸送が始まる。
1973年(昭和48年)9月25日-車扱貨物の取り扱い範囲を、専用線発着のみに縮小。
1974年(昭和49年)11月1日-新幹線工事のための5代目駅舎(仮駅舎)供用開始。駅ビル「ラミア」を併設する。
1980年(昭和55年)
6月10日-現駅舎が完成、6代目駅舎となる。
8月1日-駅東側地区の宅地化を受け、東西自由通路が開通。
9月5日-駅ビル「ラミア」が全面営業開始。
1982年(昭和57年)6月23日-東北新幹線が乗り入れ。
1983年(昭和58年)10月4日-ペデストリアンデッキが完成。
1987年(昭和62年)
4月1日-国鉄分割民営化によりJR東日本JR貨物が継承。
12月-駅ビル「パセオ」が開業。
1994年(平成6年)2月-在来線改札に自動改札機を導入。
1996年(平成8年)11月30日-日清製粉宇都宮工場が操業を停止。この頃貨物列車の発着がなくなる。
2001年(平成13年)11月18日-Suica導入。
2003年(平成15年)10月12日-Suica定期券が新幹線改札でも利用可能となる。
2007年(平成19年)
5月7日-びゅうプラザみどりの窓口一体化工事開始。5月13日から仮設券売機を使用開始。
7月30日-上記工事終了、供用開始。
2008年(平成20年)
1月29日-在来線Suica専用改札機使用開始。
11月1日-東口新駅前広場オープン。
ロケーションサービスJR東日本が提供しているロケーションサービスの一環として、宇都宮駅でも種々の作品で撮影が行われている。

2009年度
2009年(平成21年)
11月12日撮影-テレビ朝日ドラマ『西村京太郎トラベルミステリー第53作―山形新幹線つばさ111号の殺人』。
宇都宮駅で撮影。2010年(平成22年)2月6日放映。
2010年(平成22年)
3月28日撮影-日本テレビドラマ『Mother』。
宇都宮駅および宮の橋周辺。第1話(同年4月14日)と第2話(同年4月21日)放送分で放映。
3月31日撮影-テレビ東京ルビコンの決断エキナカビジネス』。
宇都宮駅構内。同5月6日放送。