運行形態はこうなってる

普通列車・快速列車は、上野駅発着の列車と、池袋駅新宿駅を経由して東海道本線横浜駅大船駅および横須賀線鎌倉駅逗子駅まで直通する湘南新宿ラインを中心に、高崎線直通列車、両毛線直通列車、日光線直通列車、烏山線直通列車が設定されている。平日帰宅ラッシュ時下りのみ「ホームライナー古河」が設定されている。このほか、東京と栃木県北西部地区を結ぶ特急列車「日光」・「きぬがわ」、同じく北海道方面を結ぶ寝台列車北斗星」・「カシオペア」、および高崎線方面の特急列車が当線経由で運転されている。日中は上野発着の宇都宮線列車が毎時4往復、湘南新宿ラインが毎時2往復(うち1往復は快速)が設定され、上野駅-大宮駅間は、併走する京浜東北線電車に対する快速線の役割も果たしている。普通列車の運転系統は、宇都宮駅を節として南北で分離されつつあるが、2006年7月のダイヤ改正では、削減傾向の上野駅-黒磯駅間の直通列車が増回され、また車両運用に絡んで小金井駅-黒磯駅間の区間列車が新設(宇都宮駅乗り換えから小金井駅乗り換えに変更)されるなど、柔軟なダイヤ設定となっている。

宇都宮駅を境に南側ではグリーン車を組み込んだ10両編成または15両編成の近郊形E231系電車(4ドア車)を中心に、また北側ではグリーン車無しの5両編成の211系電車(3ドア車)を中心に運転されている。快速列車は、ほぼ全列車が最新型のE231系電車で毎時1本運行されている。いずれも小山駅以南でのみ通過運転を行い小山駅以北は全駅に停車するため、その所要時間は上野駅-宇都宮駅間で1時間30-40分程度、大宮駅-宇都宮駅間で1時間5-10分程度となっている。快速「ラビット」が小山駅以北でも通過運転していた時代には、旧式近郊型電車の115系電車が上野駅-宇都宮駅間を毎時1-2本、所要時間1時間25-30分程度、大宮駅-宇都宮駅間を1時間程度で結んでいた。また、過去に宇都宮線区間内で事実上利用可能であった最速列車は昼行特急の「はつかり」や「やまびこ」、「ひばり」、「やまばと」、「つばさ」などで、当時上野駅-宇都宮駅間を1時間10分程度、大宮-宇都宮間を50分で結んでおり、2010年(平成22年)12月現在の同区間の最速かつ唯一の定期優等列車である東京-北海道間を結ぶ全席寝台の特急「北斗星」は上野駅-宇都宮駅間が1時間24分、大宮駅-宇都宮駅間が60分弱であるから、寝台客車特急と昼行電車特急を単純には比較できないものの、中距離区間の最短所要時間は過去より延長している。

首都圏では年末年始終夜運転を実施しており、宇都宮線では『終夜臨時列車』の扱いで湘南新宿ライン(宇都宮-逗子間)が毎時上下各1本運転されている。なお、2005年以降は上野駅発着列車の終夜運転京浜東北線および高崎線のみとなっており、大宮で相互接続を行う。

特急列車
2010年(平成22年)12月4日のダイヤ改正で「おはようとちぎ」「ホームタウンとちぎ」が廃止されたため、事実上、宇都宮線区間内で利用可能な特急列車は消滅した。池袋駅新宿駅東武日光線沿線を結ぶ東武直通特急「日光」・「きぬがわ」(定期列車は毎日4往復)、北海道方面への東北本線寝台特急北斗星」・「カシオペア」(毎日1-2往復)が運行されているのに加え、東京方面と茨城県福島県浜通り宮城県方面を結ぶ常磐線特急「ひたち」、群馬県方面とを結ぶ高崎線特急「あかぎ」・「草津」、東北地方を結ぶ寝台列車「あけぼの」が当線経由で運行されているが、すべてが当線経由で東京と他線区沿線を結ぶ列車のみとなっている。

ホームライナー古河
ホームライナー古河3号(2007年8月上野駅)現在は新潟車両センター485系6両で運転されている。1984年運行開始の大宮行の「ホームライナー大宮」を延長する形で1988年7月6日運行開始した。平日夜間に下り2本のみ、いずれも上野駅発で運転されている。乗車可能駅は上野駅のみで、浦和駅、大宮駅、東大宮駅、蓮田駅久喜駅古河駅は降車のみの扱いである。座席定員制であり、乗車するにはライナー券が必要である。使用車両は1号が185系200番台7両(田町車両センター)、3号が485系6両編成(新潟車両センター)、グリーン車も連結されているが、当列車では普通車扱いとなっており、ライナー券のみで着席できる。かつては新宿発の5号(停車駅は新宿駅池袋駅・大宮駅・以北同停車駅)も運転されていたが、2008年3月15日のダイヤ改正で廃止された。

上野駅発着普通・快速列車
快速「ラビット」
朝夕時間帯に運転される快速列車。国鉄時代に運転を開始した途中駅を通過する普通列車が始祖であり、その後無名の快速列車を経て1988年に「ラビット」と命名され、下り9本・上り8本で運行を開始した。その後、新特急「なすの」の需要を近距離新幹線「なすの」(当初は「あおば」)と分ける形で増発され、日中毎時1-2往復、毎日下り12本・上り10本が運行された。土曜休日ダイヤが導入されると夕方・夜間の通勤快速も土曜休日に限り快速「ラビット」として運行されるようになったため、土曜休日ダイヤでの快速「ラビット」の運行本数は下り18本・上り17本に達した。

命名当時小山駅-宇都宮駅間でも通過運転を行っており、同区間の停車駅は石橋駅のみだった。後に、土曜・休日のみ通勤快速に代わって小金井駅自治医大駅雀宮駅にも停車する快速「ラビット」が運行されるようになり、1995年12月1日のダイヤ改正ですべての列車が小山駅-宇都宮駅間の各駅に停車するようになった。

2004年10月16日のダイヤ改正では日中の快速「ラビット」は解消され湘南新宿ライン快速へと再編された。現在、平日は上野発下りの2本が運行される。土曜・休日は、この下り2本に加え平日夕方以降に運行される通勤快速に代わって下り5本・上り6本が運行される。車両は、E231系小山車両センター)および、土曜・休日の下り1本のみ211系15両(高崎車両センター)が使用される。上野-宇都宮の所要時間は1時間29-40分。列車によっては小金井駅で増解結するものや、小山駅東北新幹線と接続する関係で約10分の所要時間の開きがある。

新宿駅改良工事などの大規模工事で湘南新宿ラインの運行ができない場合、湘南新宿ラインの快速は上野駅発着の快速「ラビット」として運行される。

宇都宮から黒磯間

鬼怒川橋梁を渡る宇都宮線電車。
那須岳那須高原(2007年7月)
中腹に多くの建物・施設が見える宇都宮駅は、宇都宮線同駅以南の上野発着列車・湘南新宿ライン列車と、同駅以北の黒磯発着列車の始発・終着駅であり、また主に朝夕の烏山線列車も始発・終着駅としている。さらに日光線の起点でもあり、駅構内には列車の留置線が存在するが、これはかつて同駅が貨物列車発着駅であり、貨物の積み下ろしが駅構内で行われていた名残でもある。1910年には、日清製粉宇都宮工場と同駅間に敷かれた貨物線を使用した小麦粉輸送が開始され、1966年には、小麦粉輸送専用貨車のホキ2200形の登場によって、同社宇都宮工場-鶴見工場間の小麦輸送が当線経由で行われた。また、旅客部門においても国鉄近郊形車両の標準形式の一つである115系電車の第一号は、初めて当駅構内の宇都宮運転所に新製配置され、その後小山電車区(現在の小山車両センター)を当運転所管轄の車庫として新設し115系電車が転配されるまでは宇都宮駅構内に留置されていた。駅東側の電留線は当駅発着貨物列車の廃止に伴う再開発によりそのほとんどが撤去され、2008年にはロータリーが完成した。

現在、ほとんどの列車が宇都宮駅でそれぞれ南北に折り返す運行形態となっており、当駅を跨いで上野・日光方と黒磯方を移動する際には当駅で乗り換えるのが標準となっている。宇都宮駅を出発すると、宇都宮運転所を右手に見ながら構内を抜け、北東に進路を取りながら宇都宮北部住宅街を通過し、平出工業団地の北辺を進んで岡本駅に着く。岡本駅は旧河内町の駅であったが、合併によって宇都宮市3つ目の宇都宮線の駅となった。岡本駅を出ると、まもなく住宅が途切れ、河岸段丘を下って田園地帯を走り抜け、まもなく栃木県中央部を南北に流れる鬼怒川を渡る。同橋梁上からは、天候が良ければ車窓左側(北側)に左から日光連山(男体山、子真名子山、女峰山など)・高原山・那須岳、南側にはすぐ下流側に国道4号の鬼怒川橋(下り線)・新鬼怒川橋(上り線)と筑波山を見ることができる。鬼怒川を渡るとすぐ左に大きくカーブを切り、切り通しを登って鬼怒川左岸段丘に上がるとまもなく烏山線の分岐駅であり、高根沢工業団地の最寄り駅でもある宝積寺駅に到着する。

宝積寺駅を出ると烏山線が段丘を東に下り、宇都宮線はしばらく台上を走る。この付近では右手(東側)車窓に栃木県と茨城県の県境をなす八溝山地の山並みが、そして左手(西側)には男体山をはじめとする日光の山々そして高原山が見渡せる。まもなく段丘を下ってさくら市の中心地で喜連川温泉の入口でもある氏家駅に着く。

氏家駅を出るとすぐに国道4号宇都宮線をまたぎ、高原山の山容が左手前方(北側)に大きく見えてくる。しばらく田園地帯を走って市の堀用水を渡ると蒲須坂駅に着く。当駅は開けた平地部に位置し、駅の西-北-東側には左から日光連山、高原山、(奥に)那須岳、そして八溝山地と180度の大パノラマが広がる。のどかな田園のただ中にあるが、かつては一部優等列車の停車駅となったこともある。蒲須坂駅を出ると、荒川を渡り、小高い丘が連なる塩那丘陵の起伏地に入る。電車は丘の間を縫うように走り国道4号と併走して左にカーブし、住宅地に入って片岡駅に着く。片岡駅を出ると東北新幹線の高架がまたいでいく。すぐに東北自動車道矢板ICの取付道路をくぐってりんご等の果樹園畑の中をしばらく進むと、再び田園地帯に入って内川を渡り、住宅地に入ると矢板駅に着く。この内川付近の西側の丘陵地は、鎌倉時代初期に源姓塩谷氏を継いだ宇都宮朝業が築いた川崎城跡である。矢板駅を出ると、再び丘陵地帯の合間を走り、すぐに上下線が分かれ、宇都宮線区間唯一のトンネルとなる針生トンネルを抜け、国道4号と併走しながら箒川(ほうきがわ)を渡って那須野が原の田園地帯に入る。那須野が原は、箒川と那珂川に挟まれた木の葉状に広がる広さ4万haに及ぶ日本最大級の複合扇状地で、高原山火山などの火砕流などで基礎が形成され、その後の河川などの砂礫の堆積により形成された。

那須野が原の地質は水を通しやすく、両河川の間を流れる蛇尾川(さびがわ)と熊川は水無川で伏流水となっており、蛇尾川・熊川の両橋梁からは、多雨期を除いて河原に水流を見ることはできない。開墾に当たっては、那須野が原北端の那珂川より取水(岩崎取水堰)して、灌漑用水を地表に引き客土することでようやく農地とし、現在では栃木県一の米および生乳の生産地となっている。現在でも、開拓・開墾の歴史を那須疏水の清流にしのぶことができる。また、関東の名族は戦国時代-江戸時代初めごろまでに歴史の表舞台から姿を消すが、この那須地方は中央政権による改革を免れ、室町時代には関東八屋形の一角をなした那須氏一門が江戸時代以降も脈々とその歴史を刻み続けている。その影響で、当時からの歴史的建造物も比較的良好に現存し(大田原市那須神社や黒羽雲巌寺など)、松尾芭蕉奥の細道紀行にも登場する。

箒川を渡るとまもなく国道4号宇都宮線をまたいで大田原市内唯一の駅である野崎駅に着く。この北部には野崎工業団地が立地し、当線はその南端部を北上していく。野崎駅を出ると、まもなく那須疏水第4分水を渡り、すぐに東側から東北新幹線の高架が迫ってこれと併走する。那須疏水鍛冶屋堀を渡って直線区間をしばらく行くと西那須野駅に着く。西那須野駅の下には那須疏水第3分水が流れる。この付近から那須塩原駅黒磯駅にかけては、那須の茶臼岳、朝日岳、三本槍岳を望みながら走る。西那須野駅は、栃木県内有数の温泉郷である塩原温泉郷、そして米および生乳の県内第一の生産地である那須野が原の玄関駅である。同駅は当初那須駅と称し、東北本線が電化されその座を黒磯駅に譲るまでは那須地区を代表する駅であり、開業当初から優等列車の停車駅であった。駅周辺は、那須野が原の開拓社の一つである肇耕社の開墾地であり、肇耕社の開設者の一人で、その後栃木県令となって塩原に公道を開設した三島通庸にちなむ旧三島村の地内であった。

三島村はその後西那須野町を経て現在は那須塩原市編入され、現在は同駅を通過して次の那須塩原駅に停車する優等列車も現れているが、西那須野駅周辺の三島の地名に那須開墾の歴史がしのばれる。西那須野駅を出ると、列車は斜面を下って接骨木用水を渡り、しばらく進んで水無川の蛇尾川を渡る。河原には白い巨石が連なり、河川であることが分かるが、多雨期を除いて水は見えない。ブリヂストンの工場の合間を抜けて同じく水無川の熊川を渡ると住宅地に入り那須塩原駅に着く。那須塩原駅はかつて東那須野駅と称し、開業以来優等列車のほとんどが通過していたが、東北新幹線が開業してその停車駅となり一転、現在は新幹線「なすの」ほか各駅停車タイプ「やまびこ」の停車駅であり、塩原温泉郷および那須温泉郷の玄関駅となった。那須塩原駅を出るとすぐに那須疏水第2分水を渡って林地を進み、再び田園地帯に入って那須疏水第1分水を渡り、住宅地に入るとまもなく宇都宮線列車の終点・黒磯駅に着く。黒磯駅は、関東地方の一大避暑地である那須高原の玄関駅である。

那須高原は北に勇壮な那須連山、南に広大な関東平野の絶景を楽しめる絶好のビュースポットでもあり、休日は春の新緑シーズンから秋の紅葉シーズンまで行楽客でにぎわう。黒磯駅東北本線の直流電化区間と交流電化区間の境界駅であるため、直流式の電車で運行される宇都宮線列車は黒磯駅で宇都宮方面に折り返し、これより北側の東北本線区間では交流用の電車によって運行されている。かつて東北本線が非電化であった時代には上野駅宇都宮駅を始発終着とする客車列車が東北地方まで長駆していたが、その後の高度経済成長と相まって鉄道輸送も高速化・速達化が図られ、ディーゼル気動車さらに東北本線の電化に伴い電車が投入されると黒磯駅以南で折り返す列車が徐々に増発され、黒磯駅を境に南側は直流電車、北側は客車列車という運用が見られるようになった。そして直流電車115系165系が普及すると、客車運用されていた従来の長距離普通列車黒磯駅を境に分断され黒磯以南は直流電車での運行に置き換えられ、これにより黒磯駅を跨ぐ普通列車は全廃となった。

一方、長距離輸送用には新鋭のディーゼル気動車181系さらには交直流両用の485系583系・455系電車が開発・投入されて客車優等列車を置き換え、これにより長距離優等列車は引き続き黒磯駅を跨ぐ列車が運行されたが、やがて東北新幹線が開業すると長距離優等列車東北新幹線経由での運行に順次移行され、2009年現在、当線を経由して黒磯駅を跨いで南北間で直通運転する定期旅客列車は北海道方面を結ぶ寝台夜行特急のみとなっている。

小山から宇都宮間

小山から宇都宮までの区間では、国道4号日光街道)と東北新幹線がほぼ併走する。小山を出ると両毛線が西に分岐し、左手に小山新幹線車両センターや羽川付近では右手に大沼を見ながら下野市に入り小金井駅に着く。下野市内の走行距離は10kmに満たないが、この区間に駅が3つ存在する。小金井駅は最も東京方の駅であり、江戸時代には日光街道小金井宿、以後近年までは旧国分寺町域に属した。この小金井駅の北方・東側には、宇都宮線高崎線日光線湘南新宿ライン宇都宮線系統)の各線および東武直通特急で使用する車両が所属する小山車両センターが立地し、上り列車は入れ替え線をまたぐ築堤上を走るため、東側車窓から車両センター全体を望むことができる。一方の下り列車はこの築堤の西側を走行するため、築堤が目隠しとなってその存在に気がつき難い。

小金井を出ると下野市の新興住宅街を遠景に見ながら、下野市で2番目の停車駅で旧国分寺町南河内町域の自治医大駅に着く。同駅の北東側には自治医科大学(旧南河内町域)の白亜の建物と広大なキャンパスが広がり、さらにその奥には下野薬師寺跡が立地する。薬師寺は下毛野氏の氏寺で奈良時代には奈良の東大寺や筑紫(太宰府市)の観世音寺と並んで三戒壇に指定され、当時の関東の文化的中心地であった。次の下野市域最後の停車駅は、江戸時代には日光街道石橋宿、旧石橋町の玄関駅であった石橋駅である。石橋駅日産自動車の街として知られる上三川、真岡木綿とSLのまちで知られる真岡、そして獨協医科大学病院やバンダイタカラトミーエポック社などの玩具メーカーを抱えるおもちゃのまち(壬生)への玄関駅でもあり、下野市内3駅で最も乗降客が多い。なお、上三川・真岡方面へは路線バスが出ているが便数が少なく、おもちゃのまち方面へはタクシー利用となる。石橋駅を出てしばらく走ると、宇都宮線の東側に広大な貨物操車場が見えてくる。宇都宮貨物ターミナル駅である。

そして下り線と上り線が分かれ、構内線路群を挟む形で通過する。高架の上り線をまたぐために新幹線の高架橋はかなり高い位置にあるが、さらにその上を北関東自動車道がまたいでいく。同駅の名には宇都宮が冠されているが、所在地は下野市上三川町にまたがっており、宇都宮市域ではない。宇都宮貨物ターミナルを過ぎると、まもなく宇都宮市に入り雀宮駅に着く。雀宮駅宇都宮市の南部に位置し、陸上自衛隊北宇都宮駐屯地宇都宮市営スケートセンター、そして栃木県総合運動公園への最寄駅であり、駅東地区には2007年現在市内京町にある宇都宮工業高校が移転することが決まっている。宇都宮市内の走行距離は約20kmに及ぶが、この区間に駅は3つのみ(雀宮・宇都宮・岡本)である。

雀宮駅を過ぎて日光線が左から合流し、宇都宮グランドホテルが建つ丘を左手に見ながら田川橋梁を渡ると、県都宇都宮市の玄関駅である宇都宮駅に到着する。田川橋梁付近からは市庁舎や東武宇都宮百貨店など宇都宮の中心街ビル群が望まれるほか、その後ろ遠方には日光連山の山々がそびえ、男体山大真名子山、女峰山といった表日光連山の名峰のほか、奥日光の日白根山男体山の左奥に僅かに望むことができる。宇都宮駅東北新幹線宇都宮線日光線烏山線の各列車が集まるターミナル駅であり、また県内各地に向かう路線バスが発着する栃木県内第一のバスターミナルを擁する。宇都宮市平安時代以来の歴史を有する北関東第一の商工業都市であり、栃木県の県都である。繁華街は宇都宮駅の西側約1-2km、宇都宮二荒山神社を中心として広がり、繁華街を挟むように北側に栃木県庁、南側に宇都宮市役所が立地し、市役所の東側は宇都宮城址公園となっている。宇都宮城二荒山神社の神官としてこの地に赴任し、平安時代後期から22代500年にわたって鬼怒川流域一帯を統治した藤原北家道兼流宇都宮氏の居館であった。
なお、東武宇都宮線東武宇都宮駅は繁華街の西端、当市街の中心部に位置する。

大宮から小山間

さいたま市街から望む日光連山
東大宮-蓮田間(2008年6月)
利根川越しの日光連山。中央の円錐形の山が主峰・男体山大宮駅を出ると下り線は北西に向かう高崎線の線路を跨いで右にカーブし北北東に進路をとり、併走する東武野田線を東に分けると土呂駅に着く。土呂駅北方の低地には東大宮操車場があり、大宮駅から併走している回送線(単線)がここまで伸びている。土呂-古河間は、関東山地中北部、三国山脈南麓、そして足尾山地への降雨が東京湾(一部は犬吠崎の太平洋)に注ぐ流路帯を横断していく。車窓には沿線の水辺の風景と遠く北西に日光連山の姿を臨みながら進む。当線区間が日本鉄道第二区線として開通した1885年(明治18年)7月より8年後の1893年明治26年)8月20日、日本を訪問していた当時のオーストリア皇太子フランツ・フェルディナント候は当線を利用して日光を訪問しており、その滞在記の中で上野から宇都宮までの沿線風景を『みごとに手入れがなされた田園』と賞賛している[4]。まず、土呂駅を出ると見沼代用水西縁を越え芝川を渡り、東大宮操車場とその一端にJR東日本の訓練所を見ながら台上に上り左にカーブすると東大宮駅に着く。

東大宮駅を出ると国道16号の高架橋をくぐり見沼代用水東縁および綾瀬川を渡る。両水路の河岸に連なる田畑を越えて再び市街地に入ると蓮田駅である。蓮田駅を出るとまもなく元荒川の橋梁を渡る。江戸時代以前は元荒川が荒川の本流であったが、利根川東遷事業と呼ばれる河川工事の結果、荒川は入間川に合流して隅田川(住田川)となる現在の流れに瀬替えされ、この川は元荒川となった。元荒川沿いの低地から台上に上がり新興住宅街の中を走って積水化学武蔵工場、東光電気埼玉事業所の東側を通りマンション群が見えて来ると白岡駅に着く。白岡は近年の人口増が目覚しく宅地開発が進められている。白岡駅を出て隼人堀川を越え東北自動車道の高架をくぐり姫宮落川を越すと新白岡駅で、この区間も近年の宅地開発が目覚しい。新白岡駅を過ぎ、田畑や果樹園を見ながら備前堀川、備前前堀川を越えて市街地に入り西から東北新幹線の高架、東から東武伊勢崎線の線路が近づくと久喜駅に着く。久喜付近からは車窓東側に筑波山が見えてくる。

久喜を出て間もなく青毛堀川を越したところで東武伊勢崎線宇都宮線を跨ぎ西に向かう。田園地帯に入り間もなく古利根川の源流部にあたる葛西用水を渡って東鷲宮駅に着く。この駅は1981年(昭和56年)に貨物駅として開業、その後旅客駅となったが間もなく貨物扱いは廃止され旅客扱いのみとなった。こうした経緯から配線が変則的になっており、下りホームは地上に、上りホームは高架上に設置されている。駅南東部には新幹線の保線基地がある。駅東口は貨物駅を再開発した集合住宅街が広がり、その北側の戸建て住宅街も含め一大団地となっている。東鷲宮駅を出ると田園地帯を走り中川を渡り、築堤上に敷かれた東武日光線の線路が宇都宮線をまたぐと住宅地となり、ほどなく栗橋駅に着く。栗橋は江戸時代には日光街道栗橋宿の宿場町、利根川渡しがある交通の要衝として賑わった。栗橋駅では東武日光線直通特急が客扱いホームの無い連絡線を通り東武日光線に入る。栗橋駅を出ると宅地の間を右カーブを描きながら高度をかせいで築堤を登り、日本国内最大級の河川で坂東太郎の異名でも知られる利根川を渡って茨城県に入る。

この付近になると車窓北側の日光連山の山並みが鮮明となる。利根川は江戸時代中期以降、この地を経て鬼怒川と合流し銚子にて太平洋に注ぐ川となったが、それ以前は古利根川を経て東京湾に注いでおり、この付近の利根川は同じく東京湾に注ぐ渡良瀬川(太日川)の流路であった。1893年明治26年)のフランツ・フェルディナントの日本滞在記によると、利根川畔から日光までの日本鉄道沿線には杉並木が続いていたと記しており、並行して走る当時の日光街道(現国道4号)には未だ並木道が保たれていたことが分かる[4]。利根川の橋梁から続く築堤から続く70km/hの速度制限のある急カーブをゆっくり進み、日光街道中田宿付近を通って古河市大堤(元総和町)の距離の長い林に続く。日本鉄道第二区線として開業した時には利根川鉄橋が開通しておらず、この付近に中田仮駅が置かれ栗橋駅-中田仮駅間の利根川には渡し船が就航していた。利根川架橋とともに廃止されたが、その後再びこの近隣地には中田信号所が置かれ近年まで運用されていた。列車は林間にトモヱ乳業を見ながら直線区間を走り、高架に上ると2面4線の古河駅に着く。古河は宇都宮線唯一の茨城県内の駅であり、江戸時代には古河城の城下町また日光街道古河宿の宿場町として賑わい、また渡良瀬川の渡し場があった場所でもあり当時の交通の要衝であった。また室町時代には古河公方が座した土地としても知られ、その遺構は古河総合公園として整備されている。

古河駅を出て再び70km/hの速度制限のあるカーブを走る。この古河市内の2箇所の急カーブ地点では、車窓から15両編成の前後の車両が見える。古河の市街地を出ると栃木県に入り、野木工業団地の工場群を線路の左右に見ながら市街地に入ると野木駅に着く。野木は平安時代末期に源頼朝に抗して旗揚げした常陸国の豪族志太義広の下野国侵攻に対し頼朝方小山朝政等が陣を置いた野木宮の鎮座地で、当線の古河-野木間の北西部が野木宮合戦の古戦場である。野木駅から間々田駅、さらに小山駅にかけては栃木県南部の田園地帯で線形がほぼ直線でありその只中を疾走する。この区間は西方に谷中湖や渡良瀬遊水地の低湿地が立地し渡良瀬川、巴波川、思川の三河川の合流地点となっていることもあって、季節によっては濃霧が発生しやすい区間でもある。間々田駅にはかつて乙女河岸からの乙女人車軌道が連絡していたが、水運から鉄道運輸への転換により廃止された。間々田駅を出て宅地と田畑の間を行くと東北新幹線が東側から接近し、しばらく住宅地の中を並走すると水戸線が東から合流して小山駅に着く。

小山市は栃木県第2の都市であり、古くは俵藤太の別称で名高い藤原北家魚名流藤原秀郷の後裔を称する小山氏の居城・祇園城の元で栄え、江戸期には日光街道の宿場町となった。近年では源頼朝の乳母寒河尼を娶った小山政光の故地、また徳川家康、秀忠父子が関ヶ原合戦を前に小山評定を行った舞台としての町おこしが展開されている。

宇都宮線と東北線の呼称

211系LED表示(2006年6月)。高崎線との区別に用いられるほか、宇都宮-黒磯間の区間運転でも使用されることがある。経緯にもある通り、地元自治体が働きかけて「宇都宮線」の呼び名が決まったため、関東地方では「宇都宮線」の呼称が使用され、「東北線」(「東北本線」)の呼び名は黒磯以北に直通する列車に使用されることが多い。JR東日本の運行情報案内では、この区間については「宇都宮線」(路線愛称名)を用いており、黒磯以北区間については「東北本線」(正式路線名)または「東北線」の名を用いている。名称制定について住民感情に基づく紆余曲折を経ているため、一部の駅構内時刻表やのりば案内、列車内停車駅案内で「宇都宮線東北線)」と併記しているほか、長距離旅客主体の新幹線の車内放送等では「東北線」と案内することがある。また、市販されている雑誌型の時刻表では「東北本線宇都宮線)」などと表記されている。なお、宇都宮線の呼称制定前の国鉄時代に登場した211系電車の正面方向幕は通常は「普通」を使用するが、まれに「東北線」を表示させることがある(写真参照)。一方、JR化後に登場したE231系電車の行先表示器は「宇都宮線」・「湘南新宿ライン宇都宮線直通」である(211系の場合でも湘南新宿ライン運用時の表示には「宇都宮線直通」で設定されていた)。日常的なJR東日本(関東)利用者の間では、各鉄道事業者などが車内放送や駅構内案内等で「宇都宮線(あるいはJR宇都宮線)」を日常的、恒常的に用いるため、「宇都宮線」の呼称が定着している。

上野-大宮
上野駅はかつて東北・信越・北関東方面のターミナル駅としてにぎわったが、近年では東北新幹線が東京駅発着となり、また宇都宮線高崎線上野駅始終着列車や快速列車の3分の1が湘南新宿ラインに振り分けられるなど、利用客数が減少傾向にあるが、駅周辺には上野動物園国立科学博物館国立西洋美術館東京文化会館などの大規模文化施設が集まり、休日になると相変わらずのにぎわいを見せている。宇都宮線列車は上野駅を出てしばらくの間、ポイント上を通過するなど徐行運転を続ける。低いホーム(上野駅13-15番線)と高いホーム(上野駅5-9番線)からの線路が同じ高さに集まり、鶯谷駅から日暮里駅付近からスピードを上げて常磐線(複線)を東に分けた後、西日暮里駅を通過する付近で並走していた山手線・京浜東北線複々線)および東北新幹線(複線)と分かれて高架を走り、田端貨物線をまたいで新幹線操車場の東側を進み尾久駅に停まる。この上野-尾久間は回送線の意味合いから複々線区間となっており、高いホームを発着する列車は複々線の外側の線路を、また低いホームを発着する列車は複々線の内側の線路を通り、田端-尾久間でポイント分合し、2線は尾久駅方面、2線は操車場方面に繋がる。この区間では、上野駅発着の寝台特急(などの客車列車)の推進回送が行われている。尾久駅は1面2線の東京都区内にあっては小さな駅であるが、構内に客車操車場があり、留置線、洗浄線、尾久車両センター(旧尾久客車区)の検修庫、田端運転所があり、日中は寝台特急北斗星」、「あけぼの」などに使用される機関車(EF81形=田端運転所、EF64形1000番台=長岡車両センターなど)や客車編成(24系・14系)のほか、宇都宮・高崎・常磐各線の回送電車などが留置されている。同構内は電化部分と非電化部分が混在することもあって、客車の入れ換え用機関車としてDE10形やDE11形(宇都宮運転所)が常駐する。

尾久駅を出ると駅西側の構内留置線をまとめるように西に向けてカーブを切り、すぐに進路を北西に向けて尾久駅の西側を走っていた東北新幹線高架および京浜東北線東北貨物線の各線路と合流する。東北新幹線京浜東北線は当線路をまたいで東側に出るが、東北貨物線はそのまま当線の西側を併走する。間もなく都内有数の桜や紫陽花の名所で知られる飛鳥山公園の丘陵地の東裾を経て王子駅を通過する。平坦な直線区間を通って東十条駅を通過すると高架に上がり、西から来る埼京線赤羽線)と合流すると赤羽駅に着く。赤羽駅宇都宮線としては東京最北端の駅であり、埼京線湘南新宿ラインなど都区内から埼玉県に伸びるJR在来線の結集地点になっている。駅の東側には繁華街が形成され、地下鉄南北線埼玉高速鉄道線赤羽岩淵駅も徒歩圏にある。

赤羽駅を出ると東北新幹線埼京線の高架を西に分け、間もなく新河岸川、荒川の橋梁を渡って埼玉県に入る。新河岸川はこの下流の岩淵水門付近で荒川下流隅田川となる。赤羽駅から大宮駅にかけては、東側から電車線(京浜東北線)、列車線(上野発着の宇都宮線高崎線)、貨物線(湘南新宿ライン)の3複線が走り、走行速度も110-120km/hとなる。沿線には広い緑地帯を持つ高層マンション群(川口、蕨、浦和、さいたま新都心等)や駅前の複合ビルが林立する。埼玉県に入るとまず京浜東北線の駅である川口駅を通過する。川口は江戸期に隆盛した舟運によって特産品の鋳物を江戸に供給し発展を遂げた。沿線は鋳物工場の集積地あったが、近年はベッドタウンとして高層マンションに建て替えられ、近代的な街並みとなっている。西川口駅蕨駅と通過し、東京外環自動車道をアンダークロスして線路東側に浦和電車区を眺めると武蔵野線との乗換駅である南浦和駅を通過する。西に狛犬ならぬ狛ウサギが特徴の調神社の森や遠く武蔵浦和駅周辺の高層マンションを見ながら3複線の両側の京浜東北線宇都宮線東北線)上り線、東北貨物線が高架に上ると県庁所在地駅の浦和駅に着く。東北貨物線にはホームがないため湘南新宿ラインなどは通過する。浦和駅は埼玉県庁の最寄り駅で、駅西口は旧浦和市中心繁華街となっており、駅前から西に向けて伊勢丹浦和店・コルソ、ユザワヤ浦和店と商業施設が並び、その西側に埼玉会館、市立浦和中央保健所、県立浦和図書館、県庁、埼玉県警、裁判所、県立文書館といった主に国県関係の官庁街が広がる。また、当駅はさいたま市役所の最寄駅でもあり、当駅の北西約500m先にある浦和センチュリーシティ(旧浦和市役所庁舎跡地)のさらに先、西口から約1kmの場所に立地する。東口は近年の再開発によってできたパルコを中核店舗とする新しい商業地区となっている。

浦和駅を出ると東北貨物線京浜東北線とともに高架を下り、旧中山道をくぐって京浜東北線北浦和駅を通過する。北浦和駅を過ぎ北に向けてカーブした付近で東北貨物線線路の上下線の間に武蔵野線大宮支線が地下から合流して来る。この線路の与野駅-大宮駅間は東北貨物線複々線部となっており、大宮駅を発着して武蔵野線京葉線中央本線方面を結ぶ「むさしの」や「しもうさ」、臨時快速「ホリデー快速河口湖」などの快速列車が同線経由で運行されている。与野駅を通過するとさいたま新都心の高層ビル群が左手に見えてくる。そして東北貨物線が大宮操車場に入るとまもなくさいたま新都心駅に停車する。当駅は大宮操車場(大宮操駅)を再開発したさいたま新都心にあり、さいたまスーパーアリーナやさいたま合同庁舎の最寄り駅となっているが、大宮操車場には旅客駅設備が無いため、貨物線を走る湘南新宿ライン武蔵野線直通列車は通過となる。さいたま新都心駅・大宮操車場を出ると、東北貨物線は操車場の留置線群をまとめ下り複線・上り単線となる。そして下り線が広い大宮駅構内の西側辺縁に沿って大きく反れ、下り貨物線が下り列車線をくぐって上下列車線の間に入ると、西から東北新幹線埼京線が接近して大宮駅に着く。大宮は式内社名神大社に列せられた氷川神社門前町であり、江戸時代には中山道の宿場町大宮宿となった。近代以降は東京と東北・信越・関東北部方面を結ぶ列車の結集点として国鉄大宮工場や大宮操車場(その後貨物駅)が立地する「鉄道のまち」として発展し、京浜東北線川越線東武野田線といった短距離通勤電車が結節する東京の北側にあって随一のターミナル駅となった。駅付近は東口・西口ともに繁華街が形成されているが、駅東側は氷川神社参道また旧中山道大宮宿を彷彿とさせる落ち着いた街並みの繁華街で大規模店舗も高島屋一軒である一方、駅西側は新幹線開業時の再開発により誕生した大宮ソニックシティを中核とした新興地区であり、駅前にはバスターミナルが設置されこれを囲むように丸井、ダイエー、そごうが出店しており、東口と西口は対称的な色合いを醸している。

宇都宮線を紹介

宇都宮線東日本旅客鉄道JR東日本東北本線のうち、東京都台東区上野駅から栃木県那須塩原市黒磯駅間の列車線の愛称である。宇都宮線は、首都東京と北関東(埼玉県北東部、茨城県古河周辺、栃木県小山・宇都宮・那須周辺)を縦貫する、首都圏地域間輸送を担う路線の一つである。大宮駅から新宿駅経由で横須賀線に直通する湘南新宿ラインの列車が宇都宮駅以南で運行されており、池袋・新宿・渋谷・横浜・鎌倉の周辺各地とも直結している。北海道地方への定期旅客列車(夜行寝台特急)も毎日1-2往復運行されている。宇都宮線区間に所在する宇都宮貨物ターミナル駅日本貨物鉄道JR貨物)による1,200トン級コンテナ貨物列車が運行される北限であり、当駅と名古屋貨物ターミナル駅福岡貨物ターミナル駅広島貨物ターミナル駅間を結ぶ毎日2.5往復が1,200トンコンテナ貨物列車で運行されているほか、当駅と南関東沿岸部の各駅間には石油貨物列車が多数設定されている。また、宇都宮線区間には首都圏と東北・北海道間を結ぶコンテナ貨物列車が多数往来しており、中には西日本から東北・北海道に直通する長距離コンテナ貨物列車もある。

茨城県古河市以北のほぼ全区間にわたり国道4号が並行している。古河市以南区間については、東京都台東区から埼玉県川口市にかけては東京都道・埼玉県道58号台東鳩ヶ谷線・東京都道306号王子千住南砂町線・国道122号、埼玉県川口市からさいたま市にかけては埼玉県道89号川口停車場線・埼玉県道35号川口上尾線、さいたま市から古河市にかけては埼玉県道3号さいたま栗橋線・国道125号が並行している。「宇都宮線」と呼ばれる区間は、東北本線列車線の直流電化区間と一致する。全区間が旅客営業規則の定める「東京近郊区間」内、およびIC乗車カード「Suica」の首都圏エリアに含まれている。このうち上野駅-大宮駅間は電車特定区間となっており、区間外よりも割安な運賃設定となっている。ラインカラーは首都圏地区の東海道線高崎線と同様、車体色の一部に用いられているオレンジ(■)で案内されている。

路線データ
宇都宮線としてのもの。
管轄・路線距離(営業キロ
東日本旅客鉄道第一種鉄道事業者):
上野駅-尾久駅-黒磯駅159.9km
日本貨物鉄道第二種鉄道事業):
赤羽駅-黒磯駅赤羽駅以南は田端駅方面のみに免許を持つ)
軌間:1067mm
駅数:33駅(起終点駅含む。貨物駅は除く)
複線区間:全線(上野駅-尾久駅間の一部は複々線
電化区間:全線(直流1,500V)
閉塞方式:(複線)自動閉塞式
保安装置:ATS-P
最高速度:
上野駅-宇都宮駅 優等列車120km/h、普通列車110km/h
田端信号場駅-赤羽駅東北貨物線) 95km/h
赤羽駅-大宮駅(東北貨物線) 120km/h
運転指令所:東京総合指令室(ATOS
担当乗務区:上野運転区、上野車掌区、田端運転所、宇都宮運転所、小金井運転区、宇都宮車掌区(湘南新宿ラインは新宿運輸区も担当)
上野駅-赤羽駅間が東日本旅客鉄道東京支社、浦和駅-黒磯駅間が東日本旅客鉄道大宮支社の管轄であり、赤羽駅-浦和駅間に支社境界がある。

東京圏と栃木県間の鉄道旅客需要[編集]各都県間鉄道旅客流動状況(2000年)出発地\目的地栃木県群馬県茨城県合計-
埼玉県6424711871,300-
東京都3,0751,8691,9036,847-
神奈川県7652434681,476-
千葉県336292218846-
合計4,8182,8752,776--
出発地\目的地埼玉県東京都神奈川県千葉県合計
栃木県1,2522,9639395955,749
群馬県9352,0274154853,862
茨城県1721,6954772552,599
合計2,3596,6851,8311,335-

(単位:千人/年)
運輸省(現国土交通省)が2000年に実施した都道府県間鉄道流動統計データによると、東京都から鉄道で栃木県に移動した年間旅客数は静岡県大阪府、愛知県への旅客数に次いで多く307.5万人であった。これに神奈川県、埼玉県、千葉県からの年間旅客数を合わせた数字は481.8万人であり、茨城県の277.6万人や群馬県の287.5万人を遥かに上回る鉄道需要があることを示しており、宇都宮線は東京圏内の一通勤路線という範囲を超え、東北新幹線とともに当に東京圏と栃木県間の鉄道旅客需要に応える大動脈であることが窺える。

名称について
宇都宮線の名称は、当線沿線自治体の一つである栃木県の県庁所在地・宇都宮市に由来する。

経緯
1988年(昭和63年)、本来の東北本線の長距離旅客輸送機能が東北新幹線に移され、上野駅-黒磯駅区間が東京-埼玉県北東部-栃木県間の輸送に特化されつつある状況を鑑み、当時の渡辺文雄栃木県知事が同県の県庁所在地である宇都宮市のアピールも絡めて、上野駅-黒磯駅間の名称を「宇都宮線」とすることをJRに提案、沿線自治体である東京都・埼玉県・茨城県の各知事の了承のもと実現され、1990年(平成2年)3月10日から公式の愛称となった。

宇都宮駅の歴史

1885年(明治18年)7月16日-日本鉄道の駅として開業。当初は古河方面からの終着駅であったが、翌1886年明治19年)6月に上野から宇都宮までが全通した。
線路は当時の宇都宮市街を避けて設置され、駅は田川を挟んで対岸に設けられた。現在も駅舎及び交通・商業複合設備は線路西側にある。日本初とされる駅弁(おにぎり2個にたくあんが添えてあるもの)が販売される。
1886年明治19年)10月1日-日本鉄道線が那須駅(現・西那須野駅)まで開通。これらの路線は現在の東北本線にあたる。
1890年(明治23年)6月1日-現在の日光線にあたる路線が、日本鉄道により今市駅まで開通(のち日光まで延伸)。
1902年(明治35年)4月1日-2代目の駅舎(2階建て)に改築。
1906年明治39年)11月1日-日本鉄道が国有化される。
1909年(明治42年)10月12日-線路名称が制定され、当駅を通る路線が東北本線および日光線命名される。
1910年(明治43年)10月15日-建設中の大日本製粉宇都宮工場を日清製粉が買収し、宇都宮駅鉄道引込線使用契約を締結。
1925年(大正14年)12月27日-駅舎の改築工事着工。
1926年(大正15年)4月9日-駅長室の拡張工事着工。
1945年(昭和20年)7月12日-宇都宮大空襲により駅舎(2代目)が焼失。
1946年(昭和21年)3月10日-駅舎が木造1階建て、スレート葺きバラック建築で復旧(3代目駅舎)。
1958年(昭和33年)
2月27日-4代目駅舎が落成、3月1日に供用開始。
3月7日-駅舎2階に駅デパートが開業。
1966年(昭和41年)7月-宇都宮駅日清製粉宇都宮工場)-大川駅(同鶴見工場)間でホッパ車のホキ2200形による原料小麦輸送が始まる。
1973年(昭和48年)9月25日-車扱貨物の取り扱い範囲を、専用線発着のみに縮小。
1974年(昭和49年)11月1日-新幹線工事のための5代目駅舎(仮駅舎)供用開始。駅ビル「ラミア」を併設する。
1980年(昭和55年)
6月10日-現駅舎が完成、6代目駅舎となる。
8月1日-駅東側地区の宅地化を受け、東西自由通路が開通。
9月5日-駅ビル「ラミア」が全面営業開始。
1982年(昭和57年)6月23日-東北新幹線が乗り入れ。
1983年(昭和58年)10月4日-ペデストリアンデッキが完成。
1987年(昭和62年)
4月1日-国鉄分割民営化によりJR東日本JR貨物が継承。
12月-駅ビル「パセオ」が開業。
1994年(平成6年)2月-在来線改札に自動改札機を導入。
1996年(平成8年)11月30日-日清製粉宇都宮工場が操業を停止。この頃貨物列車の発着がなくなる。
2001年(平成13年)11月18日-Suica導入。
2003年(平成15年)10月12日-Suica定期券が新幹線改札でも利用可能となる。
2007年(平成19年)
5月7日-びゅうプラザみどりの窓口一体化工事開始。5月13日から仮設券売機を使用開始。
7月30日-上記工事終了、供用開始。
2008年(平成20年)
1月29日-在来線Suica専用改札機使用開始。
11月1日-東口新駅前広場オープン。
ロケーションサービスJR東日本が提供しているロケーションサービスの一環として、宇都宮駅でも種々の作品で撮影が行われている。

2009年度
2009年(平成21年)
11月12日撮影-テレビ朝日ドラマ『西村京太郎トラベルミステリー第53作―山形新幹線つばさ111号の殺人』。
宇都宮駅で撮影。2010年(平成22年)2月6日放映。
2010年(平成22年)
3月28日撮影-日本テレビドラマ『Mother』。
宇都宮駅および宮の橋周辺。第1話(同年4月14日)と第2話(同年4月21日)放送分で放映。
3月31日撮影-テレビ東京ルビコンの決断エキナカビジネス』。
宇都宮駅構内。同5月6日放送。